ぶらりと京都に

 朝の6時。太陽が眠そうな時間に起きて、旅の支度をする。車で駅までゆき、乗った電車は久しぶりの満員電車。缶詰状態に耐えきれず途中で下車。これを毎日乗っている人、尊敬しちゃうな。30分ほど電車が遅延したけど一人旅。時間はあるので駅のホーム、椅子に座って青い空に恋とかしながら待ってみる。本当は好きな実況者さんのラジオ的雑談を聴いてた。

 遅れてやってきた電車に乗り、ガダンゴトンと約二時間。お供の本を忘れたことにちょっとだけ後悔しながら、自分の知らない街を眺めて到着を待つ。

 無事に京都に着き、乗り換えをして清水寺へ。ここ最近、胃痛と肩の痛みで体力が減っているので清水寺にだけ足を運ぶ。木の葉はまだ紅葉にはなっていなかったけど心を和らげるには充分。一体いつからこの景色があるのか、昔の人は何を思ったのか、考えてみるけど途中の茶屋の団子を食べれば、まぁいっかとよくわからない納得をする。美味いものの前に、難しいことはどうでも良くなっちゃう。

 駅に戻り、土産の漬物を買って帰りの電車。行きとは違う空いた電車。

 また来年に。

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雲の上に

 仕事終わりの車の中。

 街の中から北へ北へと続く帰路。

 街灯はどんどんと消えて、真夜中の暗闇が覆ってる。

 でも僕は車の中。

 自分が運転する車の中。

 金曜日にホラー映画を観た後布団の中でおしっこ行くのを我慢したのはもう遠い昔話。

 信号で止まり、夜空を見て見る。

 月と星の光が雲を照らし、形を教えてくれる。

 あの雲の上に行けたら、もっと月が近いだろう。

 星だってそうだ。

 月に行けるよりもまだ雲の上に行く方が現実的だ。

 月に行けたとしても、帰ってきたら一文無し。

 浪漫も大事だけど、ロマンに触れるにはお金も必要。

 ままならないもんです。

 雲の上に行けたら、月を見ながらお酒を飲んだり、シュワシュワするイギリス産のハイボールを飲みたい。

 緑の果実をシュワシュワの海に浮かべて、踊るのもいい。

 そんなことを想いながら、信号が変わり、車を進める。

 明日は何が見えるだろう?

 楽しみだ。

夜勤後の夜中

夜勤の週の休日。お腹の中に、幼い頃から時間というネジやらガラクタを集めて作った体内時計が調子を悪くして、本来なら眠っている夜中に目が覚める。

 あぁどうしよう?テレビはザァザァと怖い音を出して映らない、なんてのは僕の子供時代に終わった。今は映画でもアニメでも、好きな物が見れる時代。親にバレないようにこっそりと、テレビの音を小さくして、物音が耳に入ったら光よりも速い速度でセーブして、勉強のフリをしていた時代は、もう十五年も前の話。今は何をしても怒られはしない。流石に歌を歌ったりはしないけど。

 体内時計が狂って起きる夜中。怖い怖いと布団に身を隠すこともなく、何しよう?と頭を悩ませる。だけど体は気だるい。もう頭にはいっぱいなのに眠気を呼んで、眠ろうとする。そのまま寝て朝は怠い。夜勤明けの休日はいつもそんな感じだ。もうすぐ十年、この生活が続いている。本当は夜勤もせずに仕事したいけど、そうなるとロマンの感じるものを買ったり、旅先に足を運ぶのも難しい。

 楽しいと辛いはいつも一緒。仲良く手を繋いでピクニックに行き、朝の日差しのような輝くバターを食べて「君と一緒に入れて楽しいよ、ハニー!」「私もよダーリン!」なんてマヌケなやり取りをしないけど。

 切り離せないよね。

 好きと嫌いも離せないように。

 体内時計が狂った夜中の3時4時。

 眠気を求めるか、好きなものを心のフィルターに焼き付けるか。

 迷う迷う。

心惹かれるものを

「流行の服は着ないの?」

 服を買う時、付き合ってくれる友人や家族はその言葉を口にする。

「心惹かれないから」

 僕はいつもそう答える。

 別に流行の服が嫌いとか自分の価値観と違うものに触れることに恐怖心を抱いているとかじゃない。流行の服や靴を買ったことはこれまでの人生で何度かある。

 流行で買ったのじゃなく、心惹かれたからだ。

 流行だけで買ったら箪笥の肥やしになるだけだ。時間が過ぎたら忘れて、いつの日にか手に取り「こんなものも流行ったな~」とか思い出話に花を咲かせるのもいいことだ。だけど、服は着ることに意味がある。そのために生まれたもの。それじゃ勿体ない。

 だから僕は流行じゃんなくて心惹かれたものを買うことにしてる。

 でも着てみたら案外好きになるかも。

 ここは食べ物と同じ。音楽だってそう。

 ううん。なんだってそうなんだと思う。

 服を選ぶって、難しいね。

何でもない話

 先日、友人と一緒にズボンを買いに行った。陽が傾く時間に店に着いた。僕ではなく友人のズボンを買いに。ジーンズを選んだ。どれがいいと?聞かれたのでリーヴァイスのジーンズを進めた。試着室に入る友人。試着が終わるまで外で待つ。同じように待つ店員さんと話をする。自分の履いていたジーンズと赤いブーツを褒められた。自分のセンスがいいのではなく、このジーンズと赤いブーツを作った人のセンスがいいのに、なんだか自分のように嬉しかった。しばらくはジーンズとブーツの話で盛り上がった。

 小さい頃は父の後ろに隠れていて、今でも一人焼肉に行けないくらい人見知りなのに、その時は自然と自分から口が動いた。

 もしかしたら、他人は怖い物でなくただただ、自分が勘違いしているだけなのかもしれない。

 もうすこし、他人に積極的に話しかけられるようになってもいいのかな。

 

秋の香りはどこに?

 一か月ぶりに部屋の掃除をした。

 8月は関東に旅行に行っており、仕事は夜の8時を超えて仕事をしていた。

「時間がないの!」という言い訳を無自覚に繰り返し、部屋の掃除は遠のくばかり。

  そして今日、8月16日、特に予定もない祝日、なんにもない休日。

  重い腰(このところ腰痛が続く)を上げて、部屋の掃除を開始した。

  百体近くあるプラモデルを丁寧にほこりを取る。アンテナ類が何度か外れて、したくもない冒険を繰り返し一時間が立つ。その次はベッドの下や机や本棚の後ろを清掃。家賃を払いもしないほこりをバキュームし、出て行ってもらう。明日には火の中だ。寂しさは何にもない。

  秋の香りが鼻を掠めているのに、身体から吹き出る汗がシャツに絵を描く。全く意図がわからない絵だ。夏の中で何度も消えては生み出す汗の絵。もう秋の香りがしているのに、今だ描かれる。

  秋はどこにいるんだろう?と冷房を効かして布団に包まり考える。

  やってくるのは眠気ばかり。

  気が付いたら夕方。

  昼間よりは飽きの香りが強い。

  お腹が空いた。

  秋はよくお腹が空く。

もっと強くなればいいのに、とアイスを頬張る。

青い海に誘われて

 朝の9時。知らない街の朝を横目に東京を離れて神奈川へ。テレビで一度行ってみたかった江ノ島へ。途中で改札口を間違えたアクシデントに見舞われながらも(自分の不注意)江ノ電に乗る。ぎゅうぎゅうの車内。でも僕もそれを形成する一人に変わりないので文句言わずに我慢して、電車に揺られる。無事に到着し、青い海に誘われるかのように、しらす丼に誘われるかのように足を動かす。

 青い海、空を高く飛ぶ鳶?の声、自分の知らない光景に目を奪われて思わず海に飛び込みそうになって身を任せようと思ったけど、海パンもなければ泳げもしない、カナヅチだったことと昔溺れたことを思い出して踏み止まる。

 青い海は、魔力的。

 エスカー!に頼らず自力で頂上まで登る。使ってもよかったんだけど、それじゃあ見えるはずの景色も見えないし僕一人。苦しむのは自分だけなので階段を登る。登った頃には息があがっていたけど、タワーの頂上から見える絶景を見ればどこかにすっ飛んでしまう。

 惨めな夜も寂しい恋しさも忘れて、ぼんやりと海を眺める。

 泳げたらいいな、と思い鳶?を見る。

 君はどこへ飛びたい?

 

 

 しらす丼、美味しかった!

 

 

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