趣味は人助け

「それをして意味があるの?」

 趣味をしていると必ず、この言葉に出会います。それは親しい友人だったり家族、仕事の同僚、または見知らぬどこかの誰かさん。

 ガンプラを作っている時も言われましたし、今年の一月からギター、エレキギターを始めた時も言われました。

 意味、を言われたら楽しいからとかしか答えれません。ガンプラを組み立て、色を塗ってデカールを貼ったり、全く弾けないけど少し綺麗に音が鳴った時は心が弾んで、仕事だったり人生の不安だとか自己嫌悪を忘れることができます。映画もそう。自分ではない誰かの物語を見ると、自分も頑張って生きないとか思います。

 誰にも邪魔されず、自分だけの世界がある。それは楽しいというしかない。そして、誰かが組み立てたガンプラを褒めてくれたり、ギターが上手くなるように励ましてくれる。これは、朝起きて「おはよう」と言った時、返事が返ってくる時のように幸せな時間。

 だけど、今はYouTubeSNSを通して、趣味をお金に、仕事にできる人がちらほら見えてきます。それはとても素晴らしいことで、そこに至るまで血反吐を吐くような努力をしているはずなので尊敬の念を抱きますが、上手い人がたくさん見つかるほど、趣味のハードルは高くなっていきます。知らない人からすれば、やはり上手な人に目が行ってしまいますし、それが基準となってしまいます。

 タイムパフォーマンスがよく言われる今の時代、お金にならない趣味は「それをして意味があるの?」と言われてしまうのも仕方ないのかもしれませんね。

 でも、趣味で助かる人もたくさんいます。

 どんな趣味でも器材が必要で、それを作っている人はたくさんいます。僕らが趣味にお金を使えば、その人たちにお金が行き、その人もまたお金を使って趣味をする。

 ある意味「人助け」

 そうやって世界は廻っていきます。

 生きていくためには働くことと食べること、寝ること、これだけすれば生きていけはするけど、味気ない無味乾燥。

 生きているかどうかもわからなくなります。

 趣味の意味を聞かれたら「人助け」と答えるといいかもしれませんね。この頃はよくそう思います。

 まぁでも、使いすぎて銭なしにはならないようにしないといけないですね。