短編小説  銀色の世界で自を知る

 雨が降れば音が鳴る。しかし、雪は違う。気配もなく、気づいた頃には降っている。

 会社を出て、夜空を見上げていると白い結晶がゆっくりと降ってきた。雨ならきっと気づいただろう。自分の座る椅子から窓の外を見て。

「雪か」

 今起こっている現象を確かめるように、空から降ってくる白い結晶の名前を呼ぶ。

 周りではキャキャーと騒ぐ人もいれば、嘘だろ!勘弁しろよ!と意味もない怒りを夜空に向かって吠えている人もいる。

 寒波は来ていたが、雪がくるとは言ってなかった天気予報。それをあてにして、傘も持たず、また滑り止めのある靴も履いてはこなかった。天気予報は見事に外れている。

 今の降る勢いだと、明日の朝には雪が降り積り、小さな壁を作り、僕らの道を防ぐだろう。交通機関は運休するだろう。会社には遅刻するだろう。あぁ、そうだ。僕らは「なぜ遅刻するんだ⁉︎」と、リモートでやってこない上司に小言を言われ、同じ部署で働く人は、遅れた同僚に見えないところで文句を垂れるだろ。「自己責任だ。俺たちはちゃんと朝早くやってきているのに」と自分がさも正しいことをしていると言わんばかりに。

 そんな状況を目にすることを予想できると億劫になる。宝くじが外れた時とはわけがちがう。無意識かあるいは意識的か、どっちにしても、人の悪いところを目にするのは明白なのだから。

 夜空に向かって怒りを吼える気持ちもわからなくもない。

 僕だって、気持ちが沈む。

 しかし、そこまで、深海に沈むような深さはない。むしろ、徐々に、そう少しずつ、確実に、心は上向きに、上がっていく。

 滑らないように足を踏み出す。

 早歩きにならず、頭を雪で濡らしながら最寄りの駅で。しばらくの間の暖かみを、布なので隠れない顔の肌で感じ、僕は電車に乗り込む。変わらず行く電車。明日は止まるだろ。いつもと変わらない人の中、電車に揺られ、自宅近くの駅にたどり着く。電車を降り、ホームから出ると、先程よりも白い結晶は激しさを増して、僕らの住む地上を銀色に染めていく。朝になればもはや土は見えないだろ。太陽は銀色の大地を照らす。そこに黄金をもたらすのだ。それは深く染まった稲のように美しい。

 自宅に向かう道を歩く。

 雪は音を出さない。

 走り行く車の音も、人の生き声も、わずかに聞こえた僕の足音も吸収し、音のない世界に変えて行く。

 雪の道を歩むのをやめて、止まってみる。

 何も聞こえない孤独な世界。

 悩みも恋もここにはない。

 あるのは僕、という存在だけだ。

 それがやけに、愛しく思う。

 そうだ。

 僕はここにいるのだ。