短編小説  私はトーストを食べる

 朝、六時に起きて、トーストを食べる。
 フライパンで作った目玉焼きと、焼いたソーセージをパンの上に乗せ、トーストを折る。目玉焼きとソーセージを挟むように。
 トーストにはマーガリン、バター、チーズなどをのせる人が多いかもしれないが、私はこれが好きだ。
 小麦と卵、肉のハーモニーは、朝に奏でるからこそ美味しい。
 昼間や夜にこれを作る気にはなれない。
 朝に作り、牛乳と一緒に飲む。
 なんだが、洋画に出てくるキャラクターの習慣みたいで、楽しくなる。
 そう。私はスクリーンの中で活躍するキャラクターが好きなのだ。
 俳優、監督、脚本家……他にも多くの人々が力を合わせて作るキャラクターはフィックションとはいえ、まるで本当に生きているかのように思える。
 私はその好きなキャラクターの仕草や台詞、思考をよく真似する。
 それを家族や友人はおかしいと口を揃えて言うも、私は気にしない。
 何故真似してはいけないのか理解ができない。
 人としてより良い生き方をしようとする者の真似をして何が悪いのだろうか?
 もちろん、私は悪人のキャラクターの真似はしない。
 彼らの思想や思考は理解できるところはあるが、他人を傷つけるということは決して真似はしない。
 セリフを会話の中で引用することはあるが、大概はジョークにしか使わない。
 本気で行ったことは一度もない。
 なんでも、人は悪い方に結びつける。
 銃が好きだと言えば、人が撃ちたいのか?と人は聞く。
 刀が好きならば、人を斬りたいのか?と人は聞く。
 何故、そう悪い方向にしか考えないのだろうか?
 銃は好きだけど、一度も人を撃とうと思ったことはない。
 刀は好きだけど、一度も人を斬りたいなんて考えたことはない。
 私は銃や刀は芸術品としてみている。
 どちらも職人の技術と長い歴史を持つ。
 それに惹かれるのだ。
 できれば、誰も傷つけることなく美術品として飾るか、射的や藁を斬るぐらいにしか使って欲しくはない。
 人を殺めるために作られたのに、そんなこと気持ちを抱くのは変かもしれないが、人が傷つくのはごめんである。
「おはよう……」
 一人で目玉焼きととソーセージを挟んだトーストを食べていると、二階から母が降りてくる。
 私はおはようと言った。
「おはよう……休みの日は早いのね」
 寝ぼけた顔でそう言う。
 悪気はないのだろうけど、少し癪にさわる
 休みの日は早起きすると決めている。
 単純にやりたいことが沢山あるからだ。
 仕事の日は朝早くから仕事に行き、よる遅くに帰る。
 生きていくためには金を稼がないといけないから仕事はするものの、プライベートの時間が減るのは嫌だった。
 その気持ちが行動に表れて、仕事の日は家族の誰よりも起きるのが遅かった。
 単純に、仕事に行くのが億劫だという気持ちもある。
 仕事に対して不真面目だなと世間の人は言うだろ。
 でも、私はやることはちゃんとやっているし、与えられた仕事以上のことをやってる。
 何も文句を言われる筋合いはないのだ。
 正直、ほっといて欲しい。
「美味しそうね……」
「……たべる?」
「食べたいわ」
 母はそう言った。
 そう言うならば、作ってあげよう。
 私は目玉焼きとソーセージを挟んだトーストをとっとと食べ終え、牛乳で胃の奥まで流す。
 トーストを置いた皿を台所の流し台に置く。
 皿の上は目玉焼きの黄身で汚れている。
 冷蔵庫から卵一個と、ソーセージを二本取り出す。
 トーストを袋から出し、トースターに入れて二分、タイマーをセットする。
 コンロに火を入れて、熱くなったのを確認すると油を敷く。
 油を敷いたフライパンに卵を入れ、ソーセージを入れる。
 ジャー‼︎と焼ける音が耳に入る。
 後、一分半。
 幸せの味はすぐ目の前だ。